「​​​​​​​​今の私の目標」

(私の独立学園での3年間が、私の今に至るまでどのように関わっているか考えてみました。)

放課後の作業の時間は、私の望むところ。ほぼ毎日作業をしました。そんな中、今も時々思い出すことがあります。皆さんもご存知の植林作業のときのことです。長時間の行程と、下刈り作業はなかなかハードでした。勉強はダメでも、そんな時になると俄然張り切る連中はいるものです。一年生の私もその1人でした。そんな連中は、連日働く毎にだんだんと高慢になっていき、体調が悪かったりいろんな事情で学園に残って作業している連中と比較し始めるのでした。そこで上級生と忠雄先生のところに、抗議に行きました。(今考えると、よくもと思うのですが…)忠雄先生は私たちの話を聞いて「君たちそれは、パリサイ的な考えだよ。」と即座に厳しく言われました。そのことが今でも、時々思い出されます。今も本質的に変わっていないものが、私の心にあるのだと気づかされる時です。

私の頃の学園では建築作業、水道、道路等の土木作業など何でもやりました。今の酪農の仕事に、その精神が生かされていると思っています。牛舎を始め倉庫、住宅などほとんど自分達で建てました。それは校長先生、忠雄先生、助川先生たちから学んだことです(女性ならひろ先生や奥田先生でしょうか。)それぞれのプロがやる完璧な仕事とは異なるかもしれませんが、同じ人間がやることだからやればできると思います。建築、土木、溶接、それに酪農に関する農作業はどれをとっても一人前とはいえませんが、家族で力を合わせれば出来ます。

私は学園で、生き方は学んだと思います。しかし、諸先生方の生き方の土台である信仰の学びが私には欠けています。

私の今の1番の関心事は誰もが必ず行き着く「己の死」についてです。すべて神様にお任せですが、私は、己の死をしっかり見つめたいと思っています。それに向かって「死ぬために生きるのではなく、生きるために死ぬこと」を目標にその時までを生きれたらと願っています。聖書は、逆説的真理に満ちています。出来れば避けたい辛い大変なことが、実は大きな恵だと気づかされます。このことは、それなりの年月生きることができた、私のような愚か者が知る最大の恩恵です。この地上での命を終えることが、実は永遠の命の始まり。これ以上の恵はない。最大で完璧な、逆説的真理だと私は思っています。卒業生の皆様、それぞれのところで天下一品の人生を歩んでください。