夏休み、登山で飯豊(いいで)に行って来た。三泊四日の短い間だったけれど、山では時間の流れが遅い。飯豊へ登る前からも、色々なことがあった。思いをぶつけあったり、話し合ったり、怒ったり、悲しんだりして、皆で青春をした気がする。すごく嬉しかった。皆、この旅に、またお互いに本気なんだな、大切にしてくれているんだなと思って、本当に嬉しかった。感謝だった。飯豊を登っている間も、忘れ物をしたり、力尽きたり、大変なことばかりだった。でも、皆で笑ったり、歌って、遊んで、感動したりした。

 私は山での風景がとても好きだ。朝日、夕日、降り注ぎそうな星、港町、山頂での眺め、広い空と雲、歩いてきた道、これから歩く道。山に行く度に幸せを抱いて帰ってくる気がする。今回の夏山では夕日を抱いてきた。三日目の夕方、日が暮れようとしていた時、梅花皮小屋から北股岳に登って夕日を見た。見て、感じた。日が暮れるニ十分前に登り始め、全力で走って夕日に出逢った。冷たい空気。夕日の匂い。体を覆う風邪。コーラルピンク色の空。雲。海。世界で、その時の時間しか存在しないようだった。自然を感じることは、どんなに人間にとって大切なのだろう。美しいものを見ることは、どんなに人間の心を動かすのだろう。思いを溢れさせ、心を触るのか。また同じものを感じることはできない。でも思い浮かべるだけで心が溢れそうになる。

 「山登りは人生だ」と、思った。上がることがあり、下がることがある。上がらなければならない時があり、下がらなければならない時もある。上がったらまたそのくらい下がる。楽しい時があり、辛い時もある。でも、必ず山に来て、山に登れて良かったと感じる時がある。きつい一日を越えて、また次の日があり、どんなに諦めたくなる時も、諦めた時も結局はどうにか越える。迷いがある。道を探して、歩き続けて、少し休んで、寄り道もして転んで、立ち上がって…そして、また来たところに戻る。山に登らなければ、平らな所で過ごせる。足が痛くない。長い何十キロも歩く必要なんてない。どうせ元居た場所に戻るなら、なぜ山に登るのだろうとも思った。でも確実に、山に登ってきてよかった。歩き続けてよかった、と思う時がある。どんなに辛い時も、体力のない自分に怒ったり、もうやめたいと思う時も必ずある。けれど、本当に今、自分がここにいられることをありがたく感じる時も必ずある。「生きていて良かった、生き続けていて良かった。」と思うことがあるように、どんな日でも夜は来る。でもその後、必ず夜は明ける。山はそういう場所だった。

 たくさんの幸せ、辛い思い、筋肉痛、疲れを抱いて山を下りて来た。でも今はその疲れも美しい、甘い感覚で残っている。そして、また山に登る。違う思いをもって一緒に山に登ってくれて、青春させてくれて、私の青春になってくれて、ありがとう。

独立時報175号より