最近、植物が本当に成長しているのか疑問に思うことがある。当たり前の中にあるからこそ季節を感じることができる。変化を感じられる。でも当たり前だからこそ注意深く見る時間が少ない気がする。その植物がどのようにのびて、色を変えて、自分の植物を増やそうとしているのか。自分はなにも知らない。植物ではなく、景色というものを楽しんでいる。植物の生きる姿、生きようとしている姿に目を留めることがあるのだろうか。
この学校は今この瞬間まで続いています。同じものが存在し続けること。これには大きな意味があると思います。それはキリスト教も、この日本も、人の思いもそうかもしれません。この続いていくものは、共通して誰かの心を動かすのではないでしょうか。そういうものが残っていく、続いていくのだと思います。今はそうでしょうか。残るべきものが残っているでしょうか。続いているでしょうか。自分は大切にしたいものにどう向き合っているでしょうか。自分への諦め、自分の弱さ、そんな小さなものが大切なものを少しずつ崩していく。一方で逆もあると思います。自分の中から生まれる、また一人の時にしか気づかない、そういう働きや想いから、大切なものが生まれ、続くこともあると思います。その一つがこの基督教独立学園だと思います。学園は自然と似ている。ふとそう思いました。長く続いている中でただそこにあること。四季の中で違う顔をしながらそこに存在し続けている。でもそこで生活している人はどんどんと変化している。成長している。少しずつ学園という大きなものも共に変化していく。大切なものは変わらずに。当たり前のようで、そこには人の様々な心があり、祈りがあり、生活があって支えられています。
今僕には学園の生活が与えられています。この3年間という時間が人生の中で一番学園を感じられると思います。その時間で私は学園の大切なものを感じとれるのでしょうか。
続くことはつなぐことだと思います。この学園が生きる姿を僕はいつまでも感じていたい。そしてそこで生きる人の出逢いが守られることを祈っています。
まわりに沢山ある、人のつくったものは人に意味があるようにできている。だから、そこに当てはまらない生きる自然を見ると心が落ちつく。そんなことを感じる日々です。
