今回初めて、当日の昼に舎生日誌を書くことになった。いつもは、前日の沈黙の時間帯に書いているので、少し理性が崩れている中考えている。僕は、その人の中から出てきた言葉が好きだから、理性が崩れかけている夜に書くことが好きだ。手紙も、絶対と言っていいほど夜に書いている。
最近改めて『言葉』というものが、やばいヤツだと思った。この物事を相手に伝えたいという時に、少し言い方を変えるだけで印象、捉え方が全く違うものになってしまうからだ。そして、この捉え方によって関係性にまで影響が出てしまう。言葉というものは、怖いものだと思った。だけど、言葉がないと僕の思い、考え、言いたいことは言えなくなってしまう。言葉というものは、大切なものだと思った。僕は、初対面の人とあまり話さない。自分が人見知りで恥ずかしがっているからということもあるけれど、その一つひとつの言葉の捉え方の違いによって、関係が変わってしまうのが怖いということもあると思っている。
僕は最近になって、やっとみんなに自分を出すことができていると思っている。1年目は、みんなのことを見ていた。伺っていた。この人たちは、どう思っているのか、信じていいのか。そうしたら、75期が卒業して、78期が入学してきた。僕は78期を見ていた。伺っていた。そして、最近分かった。僕自身を出しても大丈夫だと。最近は本当に楽しい。76期が卒業してしまうということが信じられないし、信じたくない。だって、今のこの環境が楽しいから。でも、僕は知っている。今、楽しいと感じられるのは、自分を出していいか分からない時期があったからだと。
76期が卒業して79期が入学してきても、またこの時期になれば、楽しいと感じる時が来るのだと僕は思っている。今は、76期、77期、78期がいるこの環境をめっちゃ楽しみたい。76期と過ごすのも最後だから。
〈2026年2月14日 夕拝〉
※日本語讃美歌Ⅱ:171番 日本語讃美歌Ⅱ:175番 聖書:知恵の書2章5、6節
