自分の言動に後悔したくない。人に嫌われても、バカにされ後ろ指をさされても、自分を貫き通したい。これが理想ではある。でも、今の僕は、まだみんなに嫌われたくないと思ってしまっている。

 学園に来てから躁鬱が激しくなった。気持ちが高揚した時にした、自分の言動で他人を傷つけたり、失礼なことをして嫌われたりする。そのことに気づくと、これ以上相手に嫌われていると知って自分が傷つかないようにと、その人への心のシャッターを閉じる。そんなで行くと、安心して話せる人がどんどん減り、気持ちが沈んでいく。

 一度朝食に行こうと食堂玄関まで歩いていたら、気持ち悪くなってそのままパターゴルフ場の芝生まで行き、寝転んだことがある。その時は、本当にやばいと思った。同時に自分は嫌いと言う感情に敏感すぎるなと思った。言葉でうまく説明できないが、嫌われるというのは好かれるのと同じくらい大事な気がする。だからといって嫌われても良いわけではないのだが、こんなに追い詰める必要もないんじゃないかと思った。だからひとまず、健全な精神が戻るまで気にしないことにする。

 なんで躁鬱が激しくなったのかを考えてみた。きっと心の頼りどころが無いんだと思う。今までは、親や家族とか自分の存在が許される場所に居ると心が落ち着いた。でも学園にそういう場所は無い。自分はここにいていいのかと不安になるし、実際居ないほうが良い気がする。そういうネガティブなことを考えてしまうのは、先に書いたが心の頼りどころがないからだ。だから頼れるようになりたい。学園に来てから自分は全く頼れない。頑張った後の休憩する場所を知らないから、何も頑張れない。そんな自分から変わりたい。底が浅くて好きなことに一途で、責任感がなくてひょうひょうとして生きている自分になりたい。

 きっと、今の自分が上手くいかないのは、他人からの評価を気にしているからだ。最近練習している驚人座の劇で、神様役の台詞があった。「みんなが君をどう思うかなんてたいしたことじゃない。大事なのは、この私がどう思っているかなんだよ。」ずっとこの台詞が頭に残っている。僕も人からどう思われているのかを気にしない人間になりたい。だから、みんなにたくさん褒めて欲しい。「お前のこういう所がいいね。」とか「こういう所がすごいと思う」って言って欲しい。同時に「お前のこういう所は嫌いだ」とか「こういう所が嫌いだ」とか、裏で思うような言葉を直接言って欲しい。そして、そんな言葉に揉まれていく中で、他人からの評価ってどうでも良いなっていうことを知れたらと思う。

〈2024年7月9日 夕拝〉