おはようございます。

僕は以前”ありがとう”という詩を読みました。読んだのですが、意味がわからなくて「これどういう意味?」と友人に聞いたら「それ良いよね!」「わからないの?」と言われてしまいました。まるで「人の心がないの?」「感性っていうか、目線がひねくれているよね!」と言われているようで悔しくなり、もう一度その詩を読んだのですが、まだ分からなくて不安になりました。

本当に僕には人の心がないかもしれません。そんなことを考えていた時、僕の口から言い訳が出てきました。「論理的におかしいだろう!この文!」「抽象的すぎて意味わからん!」と、言った後何ダサイ言い訳しているんだろうと虚しくなりました。じゃあ、なんでわからなかったんだろうと疑問が湧き少し考えてみました。答えは案外すぐ出てきました。なぜってさっきの言い訳の中にあったので、「論理的におかしいだろう!!」っていうやつですね。ただ自分がこの詩を論理的数学的に理解する能力に足りなかったかもしれませんが、自分はこう考えました。

論理的、数学的に理解出来ないように出来ているんではないか。

僕は論理的、数学的な考え方が悪いとも、変えようとも思いませんが、正直とてもしっくりきました。友人が言ったように、詩や文学などはひねくれた目線を持つ人を許してはくれないんだなと。次はもっとその手札を増やして、リベンジしようと思います。

長くなりましたが、ここら辺で感話は以上にさせていただきます。最後に”ありがとう”という詩を読みます。

「ありがとう」 谷川俊太郎 作
空 ありがとう
今日も私の上にいてくれて
曇っていても分かるよ
宇宙へと青くひろがっているのが

花 ありがとう
今日も咲いていてくれて
明日は散ってしまうかもしれない
でも匂いも色ももう私の一部

お母さん ありがとう
私を生んでくれて
口に出すのは照れくさいから
一度っきりしか言わないけれど

でも誰だろう 何だろう
私に私をくれたのは?
限りない世界に向かって私は呟く
私 ありがとう

〈2024年6月20日 朝拝〉