この3年間、私は良い人であろうとしたらしい。
成功が良いこととは限らない。すべてを理解してから行動してはいけないとも思っている。それはあながち間違っていない気がする。
3年目になって、自分に何回か落胆した。「3年目なのに、今まで何してきたの?」って。
でも、それを乗り越えるためには、良い人であろうと、良い人だと思われたい願望を捨てる必要があった。なぜなら、聖書のヨシュア記1章7節のように強く雄々しく生きるなら、八方美人ではいられないからだ。人の目が気になるかもしれない。自分のどこまで見えているだろうって気になるかもしれない。でも、人の目で私の人生は左右されたくない。私が選んだものが人生になるんだと思いたい。
そして、自分の残された時間を有限だと信じたくなった。命は与えられた時間。長い命、短い命、奪われる命、自分で奪う命。
2年目から私は死についてずっと考えさせられている。人には、生きる上で使命がそれぞれあるかもしれないと思った。世界中を飛び回る人もいれば、寝たきりの人もいるかもしれない。お金持ちの人もいれば貧しい人もいる。
そんなの不公平だって言いたい。でも最後の1秒まで使命に生きるなら、その人のすべては美しいなと思う。
皆さんは与えられている時間を何に使えますか?
※ヨシュア記1章7節
「ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。」
〈2024年6月1日 朝拝〉