春休み同級生と一緒に釜ヶ崎に行ってきました。釜ヶ崎はいわゆる日雇い労働者の街で、全国の寄せ場などとも呼ばれています。一泊1000円程度の格安宿「どや」があり、少しブロックを移れば、飛田新地という遊郭もあります。釜ヶ崎はかなり限定されていて、1本道路や線路を挟んで普通の街と釜ヶ崎の線引きがされているようでした。また居酒屋が多くあり、9割方がカラオケ居酒屋でした。
朝5時に労働センターの前に行き、様子を見ていました。労働センターと言う建物の前に建築業者の方が車で来ていて、労働者が行き、給料等の条件を確認し、折り合いがついたら車に乗り、現場に行くという流れだと教えてもらいました。そんな様子を見ていて、ある曲の詩が頭に浮かびました。THE BLUE HEARTSの『イメージ』という曲の詩です。
「お金があるときゃ そりゃあ酒でもおごってやるよ
お金が無けりゃあ イヤな事でもやらなきゃならねぇ
くだらねぇ仕事でも仕事は仕事
働く場所があるだけラッキーだろう
どっかの坊主が 親のスネかじりながら
どっかの坊主が 原発はいらねぇってよ
どうやらそれが新しいハヤリなんだな
明日はいったい何がハヤるんだろう
イメージ イメージ イメージが大切だ
中身が無くてもイメージがあればいいよ」
という詩です。私は当事者には到底なれないし、中身がある想像もできないけれど、イメージし知るという事だけでも重要で必要だなと感じた瞬間でした。
シスターがやっているバザーを手伝わせてもらっていたときのことです。8時前から準備を始め9時位になってくるとフラフラと人が出てきて、集まりだし、路上で宴会をし始めました。平日の昼前です。その日の朝労働センターの見学に行って、みんな働いているものだと思っていたから、きょとんとしてしまいました。シスターが今呑んでいる人たちは事情があって働けなかったり、今はお金があるから働く必要がないと教えてくれました。
シスターは、バザーが好きと話してくれました。普段から労働者とは対等だが、炊き出しとなるとやはり「あげる」という状況になってしまう。だが、バザーだと労働者がお金を払うから完全な対等、そこが良いと。シスター大野さんともバザーで会いました。話していくうちにシスターが友和会に入っていることが分かり、先輩のことも知っていることが分かりました。必ずどこかで繋がっているんだなと実感しました。別れ際、シスター大野に名前と学校教えてと言われました。紙にメモっていると「毎日祈るからね」と言ってくれました。初対面の人にここまでできるのかと、私は圧倒されっぱなしでした。釜ヶ崎で会ったシスターたち、何から何までお世話になった入佐さん、江見さん、本当に釜ヶ崎を愛しているんだな、と伝わってきました。毎日祈ると言ってくれたシスター大野さんは、96歳にもかかわらずとても元気で都合で兵庫に移ることになったけど、週3回はここに来ると言い三角公園から天国に行きたいとも言っていました。
炊き出しでは三角公園で朝から準備を始めました。電気も水もないので、火を焚いて大きな鍋で調理し、水は公園の水道から長いホースで引いて用意するという形でした。公園の一部を使用していて、でも許可が下りないから不法占拠でそれを黙認されている状態だと教えてくれました。準備が一段落し、休憩の時あるグループが路上で将棋をしていたので見ていました。そしたら見ていたもう1人の人がこう話しかけてきました。「兄貴、おいくつで?」と。その人は30後半から40前半位の比較的若い人でした。まさか年上に見られるわけないよな…という思いと兄貴と話しかけてくる距離感に戸惑いつつも「いやいや、まだ17です」と答え、しばらく話していると、その人が「2ヶ月位前に釜ヶ崎に来て、その時将棋を始めたんですけど、意外にわかるようになるんですよね」と楽しそうに話してくれました。その時、とてもうれしかったのと、この空気感すごく居心地が良いなと感じたのを覚えています。今でも思い出しますが、私に兄貴と話しかけてくれたこと、当然のように和の中に入れてくれたこと、言葉にはしようのない空気感と喜びがありました。
釜ヶ崎で私が記憶に残っているのは夜周りです。話がそれますが、私は普段物事を考えたり知ったりする中で「理解」と「納得」を無意識のうちに分けています。私の頭の中のニュアンスの話なので、言葉の持つ本当の味は一旦置いておいて、「理解」は、「わかりはする」つまりその事柄に対して理解はできるという状態です。「納得」は心から賛同できる。本当に腑に落ちる。みたいな感じです。普段大半のことが「理解」で止まり、「納得」は年に1、2回あるかないかみたいな感じなのですが、夜回りでは、「納得」に直接切り込んでくるような出来事がありました。夜周りでは温かいスープ、カイロ、マスク、毛布などを持ち、路上で生活している方たちに必要かどうか聞いて回りました。そこで驚いたのが、皆さん本当に必要なものしか言わないということです。温かいスープを渡した後に「カイロとかマスクもありますけど、要りますか」と聞くと、「マスクはください。でもカイロは大丈夫」とか「どちらも大丈夫」と答えるのです。またシスターが語ってくれたのは、おにぎりを渡そうとしたら「俺は今日炊き出しで食べたからいらねえ。他のやつに回してやってくれ」と言われたという話でした。皆さんならどうしますか?夜寒い中段ボールと毛布数枚で寝ていたら、1枚余分に欲しくなりませんか?カイロ余分にもらいたくなりませんか?ましてや、明日、手に入るかもわからないご飯を今日食べたからといって「要らない」と言いますか?明日の朝のために取っておこうとなりませんか?私なら、必要だと言うでしょう。明日のことを思ってしまうでしょう。でも彼らは違った。今足りていないけれど、それでも足りているから。その時2つの聖書箇所が頭に浮かびました。マタイ6章34節「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」という箇所と、コリントⅡ12章10節「それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」という箇所です。まさに電撃が走ったような衝撃でした。これらの言葉は今まで「理解」止まりでした。わかりはするけど…これ実際にできる人いるの?みたいに思っていました。ですが、その時夜周りしている私の目の前にいたのです。何が起こるかわからないとはいえ、明日を約束され、明日食べるものがある私たちと、明日食べるものがあるかわからない労働者の方たち。彼らが体現、まさに体で表していたのです。私の薄っぺらい行為とおじさんのする重みの桁が違う行為の圧倒的な差。私はこの聖書箇所を知っていて、無理だ、と早々に蓋をしていたのに対し、おそらくこの聖書箇所を知らないおじさんが正にしている。という事実。驚き圧倒されつつも「納得」しました。こういうことなのかと。
夜回りする前にシスターが、彼らは「心が空いている」と言っていました。それは心が傷ついていて、穴だらけと言う意味でした。ですが、私は妙に引っかかりました。お腹が空くと同じ意味での「空く」を「心が空く」と言う表現にすると、なんだか違う気がするのです。表面は傷だらけかもしれない。でも、心は空いていないのではないかと思ったのです。むしろ心が空いているのは、私の方ではないかと。もちろん、私が関わった人は、ほんの一部の人だけで、逆に言えば、私と関わる余裕のある人たちだったのかもしれない。けれど、それでも、心が空いているのは彼らではなく、私の方ではないかと思いました。
歩いているときに、シスターが「見てごらん」と斜め上の方を指して言いました。指の先にはアベノハルカスという最近まで日本一の大きさだったデパートが入った何十回建てのビルがありました。シスターが言いました。「あっちはね、商業や経済の最前線かもしれない。でもね、こっちは人間の最前線だよ」と。“人間の最前線”。まさにそうだと思いました。思い返してみれば、私は釜ヶ崎に来てから、今までにないほどの人間味を感じました。釜ヶ崎ほど一つの場所にいながら、大笑いしている声と怒鳴っている声が聞こえてくる場所は初めてでした。そして人に対してとても寛容だったなと思います。
私は釜ヶ崎の一側面しか見ていないですが、それでもやはり感じた事は、あの空気感あの場所が好きだということです。お世話になった方たちからは、特に釜ヶ崎とそこにいる人たちを愛していることが伝わってきました。シスターが「彼らはボロを着ていても、心は錦なんだよ」と言っていて、本当にそうだなと感じました。こんなにも人に対する愛を感じ、そして愛を受け、心から納得できたことはありませんでした。本当にありがとうございました。
〈2024年4月26日 朝拝〉