最近、強く変わりたいと思うことが増えた。今まではなんだかんだ自分に満足していたのに、今は変わりたいと思う。

学園に来る前の私は、いわゆる“良い子ちゃん”だった。それが私だったし、その方が生きやすかった。自分の意見を言わずに、周りに合わせる。八方美人で何が悪い?そう思っていた。

でも学園に来てそれは良くないと知った。自分の意見をはっきり言える人が、言い慣れている人がうらやましくてしかたなかった。それができない自分が嫌で悔しかった。今まで人に合わせることが正解だと思って生きてきた私は、きっと何が正解なのか分からなくなったのだと思う。

私は、周りを気にして周りに合わせる人を嫌い、かといって何も気にせずに意見を言う人も嫌いで、そのどちらでもない人にも弱点があるのだと知ると、一方的に失望した。「〇〇は人を知っていくほど、嫌いになるよね。」と言う言葉が心にささった。

「どうやったら、相手の欠点を愛せるか?」帰ってきた言葉は、「相手の欠点は自分の欠点。」と言う私にとって厳しい応えだった。

その通りだ。すべて自分の欠点で相手と重ね合わせているだけだった。そして、たくさんの人に欠点を見出す私は一体どれだけ自分の欠点を見て嫌気がさしたのかと自分自身の存在が問われた。

私は誰かに嫌われることが怖い。だから無意識に欠点のない人を探そうとしていた。でも見ていたのは自分の欠点だった。

今はわかる。どんな人にも何かが欠けていて、嫌われない人なんていないのだと。

自分の軸を見つけないと、私はもう一歩も動けない。前にも後ろにも進めずフラフラしながら重心を保つことで精一杯だ。倒れても良いからとりあえず動いてみれば、何かが変わることくらい知っている。でも倒れることが死ぬほど恐い。

人見知りで、いじっぱりで、臆病な私は、はじめての行動に恐怖を覚える。正直誰かに助けてほしい。でも自分で動かないと何も変わらない。

きっと私の軸は、昔から変わっていない。でもそれはすごくつまらないし、納得がいかない。

でもそれでも良いと思える日がいつかきたら良いと思う。それだけでないと知れたら良いと思う。

私が欠点を見出せなかった、力強く美しい軸をもった人たちのように私もなれますように。

〈2023年7月12日 朝拝〉