叶水大橋を通るとき。伊佐領の方へ行くとき。茂松を登っているとき。猿鼻登山、山頂まで後少しだというところで後ろを振り返ったとき。毎回、突然に現れる飯豊は衝撃的だった。雪が覆う雄大な飯豊連峰の山々は、圧倒的でかっこいい。いつか登ってみたい。できればクラスキャンプで。

 しかし、毎年3年生は簡単な山か、そもそもクラスキャンプに行かないことが多い。同期も受験準備が始まっている人は少なくなかったし、飯豊山を登れる自信がない人もいたり、皆が皆、今回のクラスキャンプに積極的だったわけではない。だが、3年目だからこそ行くべきだと私は正直思う。理由は行けば分かる!私が今回計画委員として願ったことは1つ。皆が結果的にでも、行って良かったと思えるクラスキャンプになれば、それだけで良い。そして、飯豊山に行くことが決まった。

 73期のクラスキャンプは、朝が早いにも関わらず、眠そうな顔の後輩や先生に見送られて始まった。皆これからの険しい道のりを想像して、緊張した面持ちで靴紐を結んでいる。登り始めて、最初は話したり歌ったりしながら登っていたが、やがて土や岩を踏みしめる音だけに変わっていった。皆の少し息切れた呼吸が山の静寂に溶け込んで、その静けさが心地良かった。上の方は、少しでも気を抜けば飛ばされそうな風が吹いていた。そして、さっきまで疲れ果てていたのに急に走り出す同期。強風の中から、皆の歓喜の声が聞こえてくる。山頂はガスっていたが、全くショックじゃなかった。そんな景色の中から茂松を見つけることができたから。ずっと茂松から飯豊を見上げていたのに、今はここにいる。ついに来たんだ・・・。山頂から小屋まで戻ってきて、沢の水を頭から浴びた。寒かったし、水はびっくりするほど冷たかったけれど、とても気持ちよくて笑ってしまった。ああ!生きている!

 山を登るというのは、誰一人例外なく自分の足で登るしかない。体力も山への思いも人によってバラバラだ。そんな中で行った人全員が山頂に辿り着いたことは、やっぱりすごいことだ。それぞれ途中で大変な思いをしただろうけれど、皆が行って良かったかどうかは、山頂の集合写真を見たら分かる、と言っていいだろうか。

〈独立時報173号(2022年12月10日発行)掲載〉