昨日まで3日間、クラスキャンプで蔵王に登ってきた。仙台育ちの私からすると、「蔵王」はよく聞く山で、私の祖母も、よく絵を描きに行っていた。「素敵な山」というイメージはあったし、すごく身近な感じがしていたけど、登ろうと思ったことはなかった。そして今回のクラスキャンプの私の素直な感想は、すごく楽しかった。3日間、すごく天気が良くて最高でした!とか、そういうことではなく、むしろ基本的に濃い霧で、少し離れた同期は見えなくなったし、岩をよじ登ったときも、強い風が吹く中、落ちたら終わりっていうところを歩くのも怖くて仕方がなかった。それでもやっぱり、山で食べるご飯はどんなに冷たくても最高においしいし、頑張って乗り越えた後に見る同期の顔は、私のエネルギーになった。焦りまくって入ったお風呂も、顔に打ちつけた山頂の初雪も、寒い寒いって震えながら74期みんなでできたBBQも、嬉しかった。山々に囲まれて歩いていると、自然界の仲間に入れてもらえたような感覚がした。レストハウスに行く途中に見れたお釜も本当に綺麗で、最後はお日様も出てきて、これが見たかったんだよーっていう景色も見れた。いろいろあったけど、帰りのバスの中で、私は何とも言えない気持ちでいっぱいになった。計画委員の4人はもちろん、一緒に登ってくれたみんなと、待っていてくれた人たちにすごく感謝している。ありがとうございました。
話は変わって、本当に時間が経つのって早いなーと思う。あんなに抜け出したいと思っていた学園生活の中で、私にも守りたいものができた。学園で大切にされていることが、私も大切だと思うようになった。入学して1年半、「こうでありたい」という意地で生きてきた。「こうでいなきゃ」っていうのがあるのは、別に辛くなかった。今まで意地があったから、何度も勇気をもらったし、何度も心を駆り立てられた。私の憧れである、こうでありたいってものたちは、正しいことなのかと聞かれたら分からないし、どうして憧れたのかって聞かれても、ちゃんと答えられる自信がない。それでも私は追いかけたいと思ってしまう。そういう漠然とした、心から湧いてくる想いを私は一番信じていたいとも思う。だから、私の意地は宝物みたいなものだ。ずっと大切にしてきたはずなのに、どうしてか最近、その意地が崩れてしまう。こんな人になりたいわけじゃないのにってすごく思うのに、どうしても嫌なことばかり考えてしまう。バカにされたくないってむきになる。人が許せなくなる。私は今まで、たくさん傷つけてたくさん許されて生きてきたのに、許すことの難しさは痛いほど分かっているのに、私は許せていなかった。もっとちゃんと私の大事なことと、憧れていたもののことを思い出したい。何のためにこんなことしてたんだろうっていう惨めな気持ちとか、ふざけんな!ってなる怒りとか、気づいてよって素直になれないときの、隠したい私の感性も、もう少し大切に抱えられたら良いのかもしれない。苦しいこと、悩み事を持っていられなくなりそうなとき、思い出したくなる思い出が、ここで作りたい。今回のクラスキャンプもその一つになったと思う。私の学園生活も残り半分。どうか、大切に生きていくことができたらいいなと思う。素直な愛しさと自分の意地は見つめつつ、他の想いも受け止められるようになっていきたい。思い通りにいかなくても、どんなに悔しくても虚しくなっても、どうせ諦められないし、嫌いになんてなれない。それならちゃんと信じていようと思う。