4月から学園で生活をし始めて、自分の在学中のことを思い出す機会が多くなりました。私の学園生活を振り返ると、必死に生きていたなと思います。当時は毎日色んな感情を抱きながら生活をしていました。楽しさや嬉しさを共有することの喜びもあれば、他者に対して、なんでこうなるの、どうしてそんなこと言うのと怒ったり、悲しんだり、自分に対して、どうしてもっと上手くできないの、なんでそんな感情になるのと失望して悲しくなったりすることもありました。

でも今振り返ると、すごく人間らしく生きていたなと思います。同時にその“感情が動く“ということがどれだけ大切で難しいことかが今はわかります。

今の社会には情報が溢れかえっています。満員電車に乗って、スマホを見て、街の中にはたくさんの広告があって。自分で得ようとしていなくてもどんどんと情報が入ってきます。情報量が多すぎて疲れます。疲れるから、見ないように、聞こえないように、感じないようにと、どんどん自分の心をシャットアウトしていきます。それにだんだん慣れていくと、見たいものを見ても、感じたくても自分の感情が動かなくなります。感情が動かないと、生きている実感がなくて怖くなります。

学園で過ごしていると、毎日顔を見てたくさんの人と話ができ、心の声を聞くことができ、豊かな自然と沈黙があって、自分の心を揺さぶってくれるものがたくさんあるなと感じます。その環境のおかげで、少しずつ私の心は動いてきたかなという感覚がありますが、まだ曇っているというか、鈍っているなという感覚もあります。

そのため、私の最近の目標は、自分の心と自分の発する言葉をできるだけ近くで連動させられるようになることと自分の心を解放させられることを増やすことです。2つ目の自分の心を解放させられることを増やすというのは、学園の環境は本当に恵まれていて、ここで生活しているだけで心が解放させられていくなと思っていますが、社会では自分の心を守りながら、時に自分で自分を取り戻していく術を身につけていかないといけないなと思っているからです。そのため、これからも考えること、感じること、振り返ること、経験することを諦めず、この2つの目標に近づけるように生きていこうと思います。

〈2025年5月29日 朝拝〉

※英語讃美歌:301番 日本語讃美歌:Ⅱ144番 

 聖書:マタイによる福音書7章7-8節