世の中は多くの光に照らされ、街は煌びやかな装飾に溢れて、賑やかな季節です。
ここ学園は、音を吸収してしまうかのようにしんしんと降る雪が、全てを白い世界に変え、静けさを一番感じる季節を迎えています。
「一隅(いちぐう)を照らす」
「“一隅を照らす”なぜかこの言葉にすがりたかった。そして、もはやそれ以外に自分の生きざまも考えられなくなっていた」アフガニスタンの復興に生涯をかけ、2019年12月4日凶弾に倒れた中村哲医師が常々語っていた言葉です。
10月に、村に住む学園卒業生の方に声をかけていただき、独立学園を会場として、中村医師の生き様を追うドキュメンタリー映画「劇場版 荒野に希望の灯りをともす」を上映する機会をいただきました。22年前、中村哲医師に独立学園の卒業記念講演でお話をしていただきました。私が学園の3年生の時でした。この卒業講演は、当時の学園の先生に助けてもらいながら、卒業する生徒が企画しました。中村哲医師はアフガニスタンへの支援を集めるため、日本全国を講演で周り多忙の中だったこともあり、一度は断られました。しかし、諦めきれず在校生に呼びかけ有志で中村医師に手紙を書きました。その想いを受け取っていただき、卒業講演が実現しました。
実は、その時の資料が残っていました。和子先生が保管してくださっていたのです。和子先生がお亡くなりになり、息子さんが家にある本などを生徒にくださっています。その中に、その資料があり、生徒が持ってきてくれました。藁半紙に刷られた活字たち。そして、そこに広がる同期の懐かしい文字と、同期の性格が出ている言葉。1人の字だけでなく、何人もの人たちが関わり作り上げた新聞や募金のお願いメッセージ、当日のしおりなどです。2002年3月11日、卒業式間近な時期に講演会は行われました。その講演は、私に大きな視点をくれた時間でした。それは、授業の中でも度々紹介していますが、「自分の目で見る」という視点です。テレビや新聞、ネットから流れるニュースは、事実の一部だということ。また間違っている場合もあること。本当のこと真実を知るためには、自分の目で見、自分の耳で聞くということが必要だということを教えてもらいました。この視点は、今もなお私に染み付いている大事な視点です。そして、私は、学園を卒業しました。
それから17年後の2019年12月4日、凶弾に倒れた中村哲医師のニュースが飛び込んできました。その時、同期の数人が卒業講演の時の話や、平和への想いを語る連絡をくれました。そこには、それぞれの場所で家族や仕事を持ち生きる同期たちの平和への願いと働きを強く感じ嬉しく思いました。
卒業から20年後、私はまたこの学園に職員として帰ってきました。ある時、この学園に当たり前のように置かれていた中村哲医師の活動を支援する目的で結成された「ペシャワール会」の会報を目にしました。そして、恥ずかしながら気づきました。22年もの間、学園は中村医師の活動をペシャワール会報の継続購読や募金を通し支援し続けてくれていたことに。また、和子先生は毎年、中村医師のカレンダーを買っていてくださいました。そして今年度、村に住む卒業生の方が、学園だけでなく小国町の方、村の方にも声をかけてくださり、協力し一緒に上映会をひらくことができました。村の方が映画を観ての感想を伝えてくれました。「映画を観て考えさせられました。中村哲さんの無償の愛、これだけの思いを知り、私達がいかに社会のしがらみのかなで、何も考えず不平不満を言い生活しているのか。中村哲さんの“私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真心は信頼に足りる”という言葉には、本当に心洗われる思いでした。与えられた地で生きていけることが、平和につながる事なのだなと感じさせられた二時間の映画でした」
私の目の前で起きたこれらの事柄は、時代や関わる人は違いますが、一つひとつがとても繋がっているように感じました。長い時を経ても、「平和を求める」人の集まりがここにあるということ。これは、真実です。そして、今、ここで生きる生徒たちの中からも、明確に感じるのです。「平和の求め」を。そして、ここで生き、1人ひとりが語る誠実な言葉が、行動が、平和を創り出す種になっているのです。「助けてほしい」「誠実にいきたい」「寂しい」「何も語ることが今はない」「本当の友だちってなんですか」という言葉。声は出さず表情や行動で語る言葉。私に蒔かれる種たち。自分が問われる瞬間でもあります。
聖書に書かれている「平和」は、ただ戦争がない状態だけではありません。他者との間で、お互いを尊重し共に生きることをめざすという意味を含んでいると私は思います。
今年度の夏は、「韓国平和の旅」が実施され、13名の生徒が参加しました。私も一緒に参加させていただきました。プルム学園では心遣いに溢れた温かな歓迎を受けました。そして1月には、プルム学園から12名の生徒さんが学園に来られることになっています。プルム学園滞在中に、来校の話を聞いた3年生の平和の旅参加生徒から、夏休み後に「自分たちもプルム学園から受けたものを、返したい。だから一緒に企画したい」という思いを言ってきてくれました。この言葉を聞いた時、またまた私の心に種が蒔かれました。そこからがすごかったです。毎月のように「どうなりましたか?いつ相談が始まりますか」と尋ねてくる。11月中旬には「もう時間ないですよ。準備しないとです」と教えられる。そして、その生徒を含む4名と職員2名で企画の相談が始まり、どんなプログラムができるかを検討しています。ほとんどのプログラムは生徒が担当し司会を務める内容になっています。クリスマスの忙しい中、自分たちが受け身ではなく主となって動こうとする姿には頭が下がります。その中で「プルムの生徒と学園の生徒が交流する意味を、わかっているのですか」という言葉を投げかけられました。「自分たちが授業やCSP などを通し、日本と韓国の関係について学園で学んできた。韓国に対し過去の過ちがある。だからこそ韓国の方が来校し交流することは、すごいことだ思う。それが一番の平和だと思う」と言うのです。言葉に詰まります。すごいし、嬉しいです。実際、できることできないことがどうしてもあるのですが、それでも懲りず考え、言葉で伝えてきてくれる。何がその生徒を動かしているのか気になったので、聞いてみました。すると、「人に喜んでもらいたいという気持ちだ」と話してくれました。この生徒の純粋な想いが、人と人を繋ぐ何よりも尊い気持ちのように思いました。
後、1週間でクリスマスを迎えます。
クリスマスは、イエス様の誕生を祝う日です。
イエス様は、なぜお生まれになったのか。
そして、何を求めておられるのか。
その答えが、「平和を求める」ということにあるように思います。
最後に今週、中村哲医師の言葉が書かれた2025年のカレンダーが私の元に届きました。そこに、書かれていた言葉を紹介したいと思います。
「この旅はいつまで続くのだろう。今後も現地活動に際限がない。だが、そこには結晶した心ある人々の想いが、一隅の灯として、静かに続くことを祈る」
今日という日が、平和への一歩となることを祈り、少しの間、黙とうして感話を終えたいと思います。
〈日曜礼拝(感話)2024年12月15日〉