皆さんは怖いものって何かありますか。
今怖いと思っているものでも、小さい時に思っていたものでも。
私はどちらもあります。私の怖いものは、掃除機、ダム、マンホール、海、お風呂の栓を抜く
瞬間、トイレを流す音。
ドイツの哲学者のニーチェの言葉で、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているの
だ」という言葉があって、その意味をちゃんと知らないままにその言葉に出会って、すごく恐
怖でした。さっき言った怖いものとリンクしてすごく絶望的に怖さを感じたことを覚えていま
す。実際そのニーチェの言葉は、「何かを探求する時、探求する対象だけでなく、探求者自身
もその探求によって影響を受け、変わってしまう」ということを意味しているのだそうです。
どちらにしてもちょっと怖い話に感じます。
遠心力みたいな、何かを中心としてその周りで起きている力とか勢いとかに、怖さを感じてい
るのかもしれません。物でも人でも。例えば、掃除機だったら、吸い込まれそうな感覚。あの
細い筒に吸い込まれるわけないんですけど、音もあいまって、小さいころは吸い込まれる恐怖
で支配されてました。ダムとか海みたいに大きいものだと、自分のサイズと全く違くて、力の
バランスも存在のバランスも失って立っていられなくなります。人もそうです。自分と体の大
きさや声の大きさ、感情を出すバランスとか会話の量も同じくらいなら、引いたり自分を見失
ったりはしません。でも、自分より背がすごく大きくて、声も大きくて、会話も圧倒的にその
人が多くてとか、そんなアンバランスな関わりだと、うまくいかないと思います。離れたくな
るようなうるさい遠心力を感じてしまうことがあります。
でも、私の中には、もう一つ、静かな遠心力というものがあります。音も立てない、動いてい
るとは思えない静かな遠心力。時々出会う尊敬する人たちは、それを感じます。そんな人たち
に近づくと、グラグラして立っていられなくなるような感覚になります。だからいつも一緒に
はいられない人です。怖さも感じるけれど、それはその人が怖いからじゃなくて、私が私でい
られるかが怖いからです。そして、怖さと同時に近づきたい気持ちが確実にあります。その人
に近づいて何かしらの影響を受け取りたいし、自分自身を試してみたいという感覚です。掃除
機とかダムとかと同じ怖さなのに、なにかが決定的に違います。私はその感覚は、そのまま感
覚として取っておきたいので言葉には今はしませんが、人と関わる時に大切にしたい感覚です
。引き込まれるという言葉も似てますが、また少しそれとも違います。そんな人たちと近づい
て話をするとだいたい涙が勝手に出てきます。
静かな遠心力を持っていて、尊敬して、近づくとグラグラして立っていられなくなって、いつ
も一緒にいられなくて、怖さも感じるけれどそれはその人が怖いからじゃなくて私が私でいら
れるか怖いから、そして、同時に近づきたい気持ちがあって、近づいて何かしらの影響を受け
取りたい、そう考えて究極のその人って神さまかもしれないって思いました。
怖いものって、自分を変えてしまう可能性があるから怖いと思うし、同時にそれに手を伸ばし
たい自分もいるんだなと思うことが最近多いです。怖いという言葉は、ネガティブな意味では
言っていません。怖いってなんでしょうか。心がざわついたり、動けなくなったり、確認した
くなったり、いつもの安全な場所から一歩外を見た時の感覚だったり。怖さも糧にして、原動
力にしてしまえるしなやかな人になりたいです。

〈2025年7月11日 夕拝〉

※英語讃美歌:187番 日本語讃美歌:Ⅱ57番 

 聖書:詩篇19章4-5節