学園は人がこんなにも、常に、周りにいるのに、孤独を感じる時があります。この孤独な感情に気づいてしまったら中々抜け出せません。僕はそういう時、大抵は自然の中に入ります。もっと孤独な場所のようにも感じるけど、人の中にいないのは自分を否定する必要も肯定もする必要もなくなります。僕が生きようが死のうが、この自然にとってはどうでもいい、まったく興味なく、影響も及ぼさない。もはや僕の存在などあってもなくてもかわらない。これは虚しいとかでなくて、むしろ逆で安心感です。そこまでの安心感があるから、自然の中で思う存分もがいたり、横になってみたり、吐いたり吸ったりできるのかと思います。
「学園で生きる」と言うことは自然と生きることよりも、神と生きることよりも、自分にとっては「人と生きること」です。これは楽しいだけじゃなくて、かなり苦しい、苦しめられます。どうでもいい苦しみも時にあるけれど、そうじゃなくて、なんかそれから逃げ出したくない、逃げたらダメなんだと思える苦しみだったりします。
また人と共に生きることで、自分がどういう人間なのか理解していくことができます。一人で、あーでもこーでも考えても、それは頭で考えてでてきた域を越えません。人と関わっていて心が熱くなる瞬間があります。その言葉にできない空気が本物なんだと思います。不器用な自分は、頭だけでは整理はできないから、動き続けて経験として身に付けていくしかないです。沢山悩んで、色んな方法を探るけど、いつだって答えはシンプルで、すぐそばにあります。それにぐるぐるさ迷ったあとにやっと気づきます。または、そこに落とし込むために必要な時間でもあるのかもしれないです。
どんな人間になっていきたいか。自分のことは、これまで大切にしてきたし、きっとこれからも大切にしていけます。今、僕がなりたいのは、人を大切にできる人間です。