英語の日記を書くためのノートが授業で配られた。表紙などを好きにデザインして良いと言われた。まっさらな表紙を見て、なぜか不安な気持ちになった。よく、「まっさらは無限の可能性がある」とかいうけど、そんな風には思えなかった。
 そういえば、振り返りのプリントとか作文とかすごい苦手というか、書き終えるのに時間がかかる。ちゃんと答えがあるものは頑張って調べたり、選択肢を消去法で空白を埋めたりできる。もちろん分からないところは分からないけど、少なくとも答えはある。何がそんなに躊躇させるのか。失敗するのがこわい。一度書いたものを消して、跡が残るのいやだ。自信がないから。そのまっさらを埋める能力がないから。それが本当に書きたいものなのか分からないから。
 でも、これからたくさんまっさらを突きつけられる。そして今は、必死に学園というカレンダーの裏紙の白に何かを書いて、まっさらを埋めようとしている。
 まぁ、まず日記のノートと現国の作文を埋めていこうと思う。
 最後に詩を読みます。

『人生が1時間だとしたら』 高階杞一

人生が1時間だとしたら
春は15分
その間に
正しい箸の持ち方と自転車の乗り方を覚え
世界中の町の名前と河の名前を覚え
さらに
たくさんの規律や言葉やお別れの仕方を覚え
それから
覚えたての自転車に乗って
どこか遠くの町で
恋をして
ふられて泣くんだ

人生が1時間だとしたら
残りの45分
きっとその春の楽しかった思い出だけで生きられる

〈2024年10月3日 朝拝〉