担任の先生の言葉が頭から離れない。先生が朝拝で言った、「本物に触れたことがあるから、偽物がわかるのかもしれない。」この言葉が、今の自分に正解をくれた気がした。

学園に入学する時、自分は変わりたいと思った。嘘のない本当の自分で生きていきたいと思った。変わりたい、変わりたいと思うちに、周りを見るようになった。人の良いところを見て、それを奪った。人の悪いところを見て、自分は直した。人とよく比べるようになった。ピアノだって、どれだけ弾いたって自分よりうまい人がいて、悲しくなった。字だって、どれだけ練習したってうまい人のようには書けない。悔しくて嫉妬した。何か言いたくても、人の意見の方がよく見えて、自分の意見がちっぽけに見えた。愚痴を言いたくても、悪い自分になりたくないというきれい事で言わなかった。本当は本人に言える勇気がなくて、愚痴を言いたいだけだった。

変わろうとすればするほど、本当の自分なんていない気がした。本当の自分がわからなくなった。そんな自分に先生の言葉は、自分にS TOPを、そして正解へと導くきっかけをくれた。本当の自分は、ちゃんと自分の中にあった。自分が見たくなかっただけだった。水野源三さんの詩を紹介します。最近75期がもらった曲で、「生きる」という曲の詩です。

「生きる」

神様の大きな御手の中で

かたつむりはかたつむりらしく歩み

螢草は螢草らしく咲き

雨蛙は雨蛙らしく鳴き

神様の大きな御手の中で

私は私らしく生きる

本当に良い詩だなって思います。この詩は、その人らしく生きていいんだよって言ってくれています。そこもすごく大事ですが、僕は「神様の大きな御手の中」という言葉が好きです。居場所がある。認められている。落ちることも、落とされることもない。御手の中にいるということ。そこがすごく大事な気がします。本当の自分。僕は僕らしく生きていこうと思いました。

〈2024年6月13日 朝拝〉