ずっと、自分の軸がわからなかった。私に軸なんてないものかと思っていた。自分の意見がどこからわくのかもわからなかった。先日、一言だったけど、本音を言う機会があった。その時に気付いた。私は自分の軸、自分の意見がないと思っていたけど、違ったことに。
学園に入る前は、自分の周りに染まって、周りと似た意見を言う自分に何の疑問も抱かなかった。正直な話、自分の意見を書けと求められるのは、中学校の授業の感想プリントくらいで真面目にテキトーなことを書くだけマシだと、意見を深く考えることなんてなかった。
でも、学園でテキトーなんて通じなかった。
学園を選ぶ人達は、つまずいて立ち上がった経験があり、みんなどこかしら強い自分の意思を持っていた。ここではそれが当たり前で、意見がはっきりしていればしているほど周りの評価が高いように思えた。私もそこにいたかった。テキトーなことしか言えない自分を認めたくなくて「言わないだけで、私は素晴らしい意見を持っています。」というふりをしたかった。でも苦しかった。
偽れば、偽るほど。自分を騙せば、騙すほど。学園で自分と向き合い始めて2年間、この事実に気付けないほどに、周りが見えなくなっていた。ショックだった。
こんな自分を認めなくて卑屈になって、いつもみたいに逃げたりもした。でも、そろそろ認めよう。私は素晴らしい意見なんて持っていないし、私の本音なんて所詮適当に書いたプリントの1枚だ。今私は素直に自分を認めることができてすごく楽だと感じる。もう偽らなくて良い。もうできるやつじゃなくていい。ダメダメでいい。勉強が好きでなくても、努力が嫌いでも、作業が面倒くさくても、部屋の片付けが苦手でも、人と関わるのが下手でもいい。できる風に気取らなくていい。ここでは頭の良さがベストではない。ダメだめな自分だとバレても離れていかない。というか学園って人と離れたくても離れられないじゃない。
もういいんだ。私は疲れた。少しずつ肩の荷を下ろして、ダメダメな自分をもっと知って、向き合って本音を語ろう。私は正直に語りたい。この前語った本音は、私らしくない強さと意志があった。それが周りにいる学園生みたいで、嬉しかった。神様ありがとう。今日口がひらけること、耳がきけること。目が見えること。自分の本音を語っても、私の隣にいてくれると思えた人達に出会えたこと。1つ1つに感謝します。アーメン
〈2023年2月16日 朝拝〉