独立学園は、クリスマスに約一ヶ月半準備をし、学年ごとに1つの劇を作り上げます。今年度76期(3年生)は、町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』を演じました。76期の監督(生徒が監督・助監督・脚本も担います)が、個別に保護者に感想をお願いしたようです。冬休み明け、教室に掲示され、各々の読む姿が見られました。独立学園の教育を支える柱の1つは、保護者だと実感する内容でした。今回は、その内容を掲載させていただきます。
※内容は「76期生徒たち宛てに書かれたレビュー」です。

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76期クリスマス劇 『52ヘルツのクジラたち』レビュー

76期があの『52ヘルツのクジラたち』か……と若干の違和感を抱きながら観劇の日を迎えました。違和感というのは、去年の「絶叫劇」からの「聞こえない声の繊細な物語劇」というギャップによるものだと思います(去年はメアリー・シェリー著『フランケインシュタイン』)。いや、ごめんなさい。去年は去年で繊細さのある劇でした。でも一年を経てまず思い浮かぶのは「絶叫」の二文字です。

そして見終わって、「76期にはこんな引き出しもあったんだな」と改めて感銘を受けました。

まずはキャスティングです。観終わった時点で少し引いて見た感想としては、どの生徒がどの役を演じることもできたのだろうということです。たとえば貴瑚にしても、どの女子であれ、それぞれきっちりと演じる力量があったのだろうと思います。しかしSさんが演じたからこそ「あの貴瑚」だったのであり、あの形で心に迫ってくる『52ヘルツのクジラ』が完成したんだなぁ、と感じます。

あるいは私個人として一番以外だったキャスティングのアンさん。私の脳はアンさんの登場シーンをフランケンシュタインの登場として処理しそうになり、「おいおいおいおい……」とのけぞりかけました。しかし劇が進行する中で、「ああ、アンさんはこういう人だったのか」と思わせる説得力がありました。

そして、そのようなハマり方がどの役にも例外なく見られたのです。それぞれの演者が全くその人にしかできない表現でその役を演じ(あるいは役割を果たし)、唯一無二の貴瑚、唯一無二のアンさん、唯一無二の美晴、唯一無二の少年、さらにはステージ上には現れないものの唯一無二の監督や照明……そんな唯一無二のそれぞれが織り成す、唯一無二の『52ヘルツのクジラたち』の全体がとても素晴らしかったと思います。

それは、「多数の『唯一無二』の集合体である76期の『調和』における成長を見せてもらえた」ということなのだと思います。実のところ、今回のクリスマスの76期コーラスにも同じことを感じました。遡って二年前、76期の皆さんが一年生の時から、ある種の調和がそのコーラスにありました。しかしその頃は一人ひとりの個性があまり出ておらず、みんなが様子見をしながら調和を作り出しているように感じられました。それが今回のクリスマスでは一人ひとりの歌声がよく聴こえよく主張し、それでいて一つとなっている……そのような種類の調和がありました。それは今年10月の保護者会の折にも感じなかった(私だけ?)調和のあり方で、「おお、なにかを乗り越えて一皮むけたな」と感じたものです。矛盾を承知で言えば、時々聞こえる不協和音でさえ調和させていると感じさせられました。

そんな調和が『52ヘルツ』にも見られました。出演者それぞれが印象的だったのだけれど、誰かが突出しているのでもなく、誰かが押し殺されているのでも遠慮しているのでもない形で、もともとが素晴らしい原作を、独自の素晴らしい劇にしていました。いや、正直なところ「あ、今のはコイツちょい頑張りすぎちゃったな」という瞬間的不協和音のような演技もありました。しかしそれさえも全体の中で調和していったのです。

また、そもそもの脚本も苦労したことだと思います。杉咲花主演の映画でさえ135分、プロが時間とお金を費やしてそれでも収まり切らないような、あれだけ細やかで高密度の原作を、90分枠の、しかも予算も舞台設備もムチャクチャ制約が多いナマの舞台に収め込むのは相当なことだったと思います。脚本としても、この制約の中で本当に素晴らしい出来上がりでした。

もう一つ、劇を観た後で皆さんの帰宅準備を待つ間、保護者同志で落ち着いて話す時間が与えられたのも有難いことでした。

そんな保護者の間で語られたのは、「52ヘルツのクジラたち=76期の子どもたちなのだろう」ということです。

聴いてほしい声なのに聞いてもらえる形で発信できない経験と、その辛さ。聴きたいと切に願いながらもその人の声を聞き取ること・理解することができない経験と、そのもどかしさ。そういったものに76期たちが向き合ってきた時間の集積。いや、「発信できない・聞き取れない」は普遍的な痛みだから小説としての『52ヘルツ』が強く心に響くのだけれど、とり分け学園での、これだけ密接な関りを毎日重ねながら伝えたり分かったりできない苛立たしさと悲しさ、そして、どういうわけかそれを少しでも聴き取れて理解できた時の嬉しさ。そんな76期52ヘルツ音声の余波を、劇を通して保護者たちは聞かせてもらった……そんな感想があったことも覚えていてほしいと思います。

最後にもう一つ。劇を含めた今回のクリスマスイベントでのHさんの不在です。

不思議なことに、保護者として彼女の「不在の存在感」を強く覚えさせられた二日間でもありました。つまり居ないことによる存在、あるいは「不在」そのものがある種の実体をもってその場にちゃんと有る感覚です。それは、これまで彼女が中心的に関わってきたものの中で彼女がいないことの明らかな空白のスペースであり、その彼女を思うと同時に「彼女の思い」を思い、そして発生したその空白をなんとかカバーしようとする仲間たちの心が、保護者の受けた「不在の存在感」だったのだと思います。

そのようなあれこれを私たち保護者は見せてもらい、ここまでの76期たちの過ごしてきた貴重な時間を思わされ、感謝する二日間でした。

残された三学期、とんでもなく目まぐるしいであろう日々の中、皆さんの上に主の祝福が豊かにあるように祈ります。